前回の回答は、
文化十三年仲秋
出羽國住人大慶庄司直胤花押
でした。
直胤は安政七年(1778)頃羽前山形に生まれ、荘司蓑兵衛と称し
水心子正秀の門に入り、後に正秀と共に秋元侯に仕えた。
文政四年(1821)頃筑前大掾を受領し、(1848)に美濃介に転じた。
作風は多彩で、文化初期頃は師同様な大濤瀾乱れの作、
天保頃には大和伝、更に相州伝、美濃伝、山城伝の直刃を巧みにこなしている。
壮年期には備前景光・兼光の作風に似た逆がかった互の目丁字を多く焼き、
師である水心子正秀の唱えた実用論に沿った復古刀を目指したものと思われる。
各地で作品を残し幕末の最上作に評価されている。
特に天保時代に作刀された直胤の作品は「天保打」と呼ばれ、
同工の最も優れた作品が作られている。
天保五年(1834)に作られた相州伝の作には重要美術品に指定されているものがある。
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第782回:今回の鑑定 誰でしょうか?(令和6年2月17日)
刃長:2尺3寸(69.7センチ)
反り:5分(1.515センチ)
目釘穴:1個
元幅:3.2センチ
先幅:2.19センチ
重ね:0.7センチ
刀剣重量:775 グラム
体配:身幅がやや広く重ね厚く切先がのびた
体配の良い姿をした作品です。
地鉄:小板目肌実に良く詰んで精良な地鉄となる。
刃紋:沸出来匂口の深い濤乱刃が刃区より匂口深く
直刃でその先匂口の深い大互の目に濤乱刃がよく働く
帽子と帽子の間に砂流、金筋がかかり変化に富む。
ヒント ※画像をクリックすると拡大します。
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回答は次回の鑑定会コーナーで発表致します。
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