日本刀販売、刀剣販売、日本刀の買い取り、委託販売、日本刀オークションの開催

info@aoijapan.jp

営業時間 10:00~18:00 (月曜定休日)

東京都渋谷区代々木1-54-6

お知らせ

日本刀の勉強 #4

日本刀の簡単な歴史

世界の文明はエジプトのナイル川流域インドのガンジス川、
中国の黄川、メソポタミアのチグリス、
ユーフラテス川流域のと小学校の時に学びました。

日本刀は中国大陸から朝鮮半島を経て
日本に伝来したと考えられております。
当初は弥生時代には銅で制作された銅剣が
大陸から輸入されその後鉄の剣が輸入され
特に蕨手と称される短めの刀です。
埴輪に兵士がその蕨てを腰のさしている写真がございます。
更に直刀も輸入される様になりました。
この頃になると日本国内でも渡来人の指導で
直刀を制作される様なりました。
恐らく日本では彼等渡来人は優遇された筈です。
居心地も良く九州辺りに定住する様になったと考えられます。
刀であったと想像されます、やがて鉄器で作られた
蕨てと称される鉈の様な武器を手に入れました。
当初はずぶ焼きが多かったのですが
やがて土入れを行う技術が発明された
切れ味も良くなっていったと思います。
やがて直刀が制作されました。
その数はかなり多かったと言われております。
やがて日本でも直刀が制作され
聖徳太子なども保有していた画像が残されております。
丙子椒丙林子椒林剣 七星剣などは
現在では中国で制作された作品といわれていますが
丙子椒林剣の場合まず地金が抜群に良く
餅肌をおもわせる精良な地鉄となっている為日本国内で
制作されたとする意見もあり、
果たして中国でこれほど精良な地金の作品が制作されたのか
又必要性があったのか疑問でもあります。
中国で現在残されている直刀と比較してみたいものです。
地金の良さはその制作された刀を研磨する技術がないと
地金の発達は無いと考えるのです。
それほど丙子椒林の地金は最上
級の柔らかな雰囲気を持つ作品です。
1997年に東京国立博物館で展示されましたが
それ以前にも展示されました。
私がまだ若い時期でしたから60年前くらいでしょうか。
当時はそれほど警備が厳重でなかったため
ガラス越しにはっきりと良く鑑賞したのを覚えております。
現在残されている直刀の殆どが、がさついた地金が多い中で
この丙子椒林剣抜群に優れております。

正倉院には数多くの刀剣や刀装が収納されており
一部流出しておりますが意外はかなり残っているために
当時の刀剣の形態が良く理解出来ます。恐らくこれらの直刀は儀式に
使われたり相当の身分の高い人物が使用するのみであり
刀装は贅沢の限りを尽くしたと考えられます。
しかし日本にある宝石や貴重品といえば
金、銀、勾玉、翡翠くらいでしたから部分に彫刻や
絵師による精密画像などで飾った事でしょう。
そのために日本国内では研磨技術や
刃中の働きなどに価値を見いだしと思われます。
海外では刀の拵えに興味があり金銀、ダイヤ、トルコ石
サファイア、ルビー、その他の宝石で散りばめて
王様に貢ぎ物として手渡したのでしょう。
王様の満面の笑顔が見えてきますね。

日本には宝石などはなく懸命に良い地金や刃紋を制作し
それを自慢し合う環境が出来ていったのだと思います。
やがて直刀から湾刀に移行する過程で小烏丸と称する作品が平
安時代中期の作品として制作された。
直刀から湾刀への意向する過程で出来たと言われておりますが
誠に珍奇な姿をしておりますので今後の研究が待たれます。
毛抜形太刀直刀は切先はかます切先であるが反りが
浅く付き茎の部分で強く反る作品が出てからは続いて
直刀から太刀を腰に差す為には腰の部分で反り先にいき
うつぶせごころの太刀(横刀)が表れる様になる。
三条、友成,正恒、国永、安綱と等々の名品が出てくる様になり
鎌倉時代では反りの深い作品、刃紋も直刃から小乱れから
華やかな丁字乱れ迄多様な作品が生産されていく事になります。

当時の作品殆どが無垢鍛えでありその特徴は南北朝時代迄続くこととなる。
その後は室町時代、江戸時代へと引き続がれていきますが
その時代、時代によって刀の体配は異なり南北朝時代には
大切先の長大な作品が多く室町時代中期頃には地上で戦う必要性が
あった為に片手打ちと称する60cm近辺の茎が短めで反りが付き
片手で振り易い刀が制作されました。
日本刀は戦争の激しい時期には需要が増えて
多量に制作されますが平和な時代には刀剣の需要が激減する事となります。
例えば室町時代末期には数多くの刀剣や鉄砲が制作されましたが
江戸時代になると平和な時代である為に一気に刀剣の需要が冷えきり
数多くの刀工達は食べる為に必死で地方へと移動していく事になります。
室町時代末期の戦国時代には短刀の生産が多量にあったにもかかわらず
江戸時代の平和な時代には注文が激減し
江戸時代慶長から江戸中期頃迄の短刀制作は殆どなくなりもし
皆様方が短刀を見つけたならそれは珍品と言えます。
そのために江戸時代寛文の頃から元禄頃には数多くの刀工達は
売れる刀を模索して懸命に創意工夫をこらして
より売れる刀を制作したのです。
裁断銘のある刀、刀身に彫りを入れる作品、
濤乱刃、丁字乱れ、光平などが制作した華
やかな備前丁字乱れに映りをだしたり、丹波守吉道の簾刃、
九州では積乱雲を思わせる呉の目乱れ、
柾目出来、匂口の深い呉の目乱れ、直刃みだれ
地金の美しい肥前刀などが必死で美しい作品を制作した為
日本刀の黄金時代を迎える事が出来たのですが
一方注文が無く辞めて行く刀工達はかなり多かったと思います。

やがて幕末迄は刀剣需要は殆どとまり
刀工達は仕事を辞めて機会でありました。
日本刀もこれから選別される時代へと移って行くのかも知れません。
大工などのなったのでしょう。やがて幕末になると慌ただしい時代となりやがて
日本刀の注文が殺到して刀工達には息を吹き返したのです。
九州、四国、備前、大阪摂津、江戸、会津、においても数多くの作品が制作されました
やがて天皇家の勝利によって徳川家は敗北し廃刀令が実施された為に
刀剣制作者のほとんど全ては廃業しました。
やがて軍隊が整備され中国、ロシアと戦う為に日本刀の保持が認められ
江戸時代に活躍していた刀工の弟子などが刀剣制作を行う様になり
特に月山貞一を中心として帝室技芸員制度が設けられましたが
多くの刀工達は刀剣制作を辞めていた為にそれを継承する刀
工は少なく技量もかなり落ちていたのです。
それでも明治、大正、昭和と時代が変わる中で
海軍、陸軍の士官は日本刀を保有しなければならなかった為
数多くの刀工が多数の作品を制作し陸軍、海軍ともに刀工を育成
したのです。その中で靖国刀は靖国神社境内で陸軍が中心になって
制作させ湊川神社では海軍の軍刀を制作させました。
その他に数多くの刀工やにわか刀工が将校の刀の需要を満たすために制作されました。
時間が無いためと安価な作品を制作する為に鍛錬しない粗悪な刀や
満州で制作した万鉄刀が制作されました。
やがて終戦となり再び日本刀の保有が禁止され。
数多くの刀は没収され当時日本には進駐軍がおりました。
米国人を中心として。イギリス人。オーストラリア人、
インド人などで構成され多くの米国人は戦争の勝利記念に
一人3本ほどの日本刀を米国や各国に持ち帰りました。
数年後に本間薫山博士や多くの主立った人物によって
米国の大佐であったキャドウエル氏を介して
日本人にも日本刀を保有させて欲しいと願い
厳格ななかで美術刀剣の保有が認められたのです。
当社は米軍の発行した許可書でしたが
昭和26年からは日本人による登録制度が出来上がったのです。
さらに日本刀の制作も認められました。
第1号は日本政府がウオカー中将に贈答した短刀で
高橋貞次の桜の花が彫られた作品でした。
ウオカー中将は朝鮮戦線で車の事故で亡くなり
その短刀は米国で売りに出されておりました
実は購入したのは私で日本で売価しました
数十年後の再び見る機会があり時代の経過に感無量でございました。
いずれにせよ刀剣博物館の新作名刀展覧会では
極めて優れた刀工には無鑑査制度が出来たため
制作の技術は格段に進歩をして人間国宝になる刀工もでる様になったのです
これから日本刀は日本人が所有するだけでなく
海外の愛刀家もかなり多くなって来ております。
外国人の愛刀家はかなりの知識を所有し彼等が
発行する本も制作されとくに写真画像は
日本人が舌を巻く程の技術をもつようになっております。
先日銀座にある絵画のオークションに参加したのですが
上村松園の最高傑作の掛け軸が売りにだされました。
価格は何と9000万円で落札されました。
これに比較すると日本刀は安いなとため息が出てしまいました。
一方明治。大正。昭和の有名な絵画がかなり安価で
落札され時代の経過と作家との因果関係を勉強するのには良い。

簡単に日本刀の歴史につきまして書いてきました。
当然戦争と平和との間で日本刀多く生産されたり
極端に生産が減少していったのです。
日本刀の出来の良い作品は世の中が落ち着いて刀工達が必死に生きていく時代に
より優れた作品を制作するため、販売できるかどうか厳しい
時代に名品が制作されていったのです。
適合しない刀工達は脱落していかなければならない厳しい状況であった
と考えられます。 数多くの有名な日本刀が日本の天候の悪い条件の中で
現在迄保存し続けてきた理由は多くの大名が
日本刀を大切にしてそれぞれの城に日本刀
の手入れ係をおいていたのです。
働く武士も日本刀を大切に扱って来たからこそ多
くの作品が保存されているのです。
どうかそれを忘れずに大切の保存し続けていって下さい。
それでは又ネットでお会いしましょう。