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鑑定会:第282回



前回の回答は、
於江都藤原清人造之/慶応三年二月日でした。
特徴:清人は文政十年(1827年)に羽前庄内温海温泉に生まれた
嘉永五年(1852年)清人が26歳の時に江戸に出て源清麿の弟子となる。
清麿の弟子として2年の後に師の清麿は自刃をして亡くなる。
しかし清麿はかなりの借金を残した為その残債が残され、
師の清麿の自刃後、清麿の残債を清人が鍛刀して肩代りした、
今でも報恩を完 うした高潔な刀匠の美談として語り伝えられています。
清麿が嘉永7年11月14日自宅で自刃の時僅か二年の内弟子であったが、
清人師匠をこよなく尊敬していた為に清麿の刀の半金を貰った刀の残債が
30本も有 ったのを清人が成り代わり、刀を打って納めた話は美談として今日ま で語り伝えられています。
このような素晴らしい刀匠である為に古来人気の高 い刀工です。
慶応3年に豊前守を受領。本作の作品は庄内藩の本間家の依頼で清人に製作を依頼した作品です。
本間家の末裔は刀剣博物館で館長をされた本間薫山先生で先祖の愛刀であった のです。
戦後この刀は進駐軍によって米国に持ち去られ暫く米国にあったと言われて言る。
その後、米国の刀剣愛刀家によっ て購入され、日本で研磨がなされ重要刀剣に指定された作品です。
本作の作品は見事な柾目肌が詰んだ作品で、清人が羽前庄内に年に戻った時期に
本間家から当時名がしられた国包と同様な柾目肌の作品が注文されたと考えられます。
清麿の一番弟子として有名な清人が柾目肌の作品を製作する事は考えられず、
弟子の期間が2年であった事で頷ける。清麿に対して注文が30振残り、弟子として
顧客の注文をこなす事は不可能に近かったと考 えられる。そのため師匠の相州伝である清麿写しを
製作する事は極めて至難な事であったに違いありません。
故郷の羽前庄内を忘れず必死で柾目肌の作品を製作した清人の努力は賞賛に値するのです。
身幅広く重ね厚く切っ先の延びた体配の良い作品です。
清人の柾目肌で重要刀剣に指定れた作品は数点に及びますが、本作はまさにその筆頭に当たると考えられます。
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第282回:今回の鑑定 誰でしょうか? (平成26年3月14日)
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ヒント ※画像をクリックすると拡大します。
刃長:2尺4寸9分(75.42センチセンチ)
反り:5分(1.5センチ)
目釘穴:1個 
元幅:3.10センチ 
先幅:2.23センチ
重ね:0.72センチ 
刀身重量:790 g
時代: 江戸時代 寛文の頃
体配:身幅広く重ね厚く反りやや浅く切先の延びた刀
地鉄:小板目肌実に良く練れて地沸が付き綺麗で精良な地金となる。
刃紋:沸出来互の目に足が良く入り所々砂流、金筋が働く。
切先のたれごころに丸く返る。
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回答は次回の鑑定会コーナーで発表致します。

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