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お知らせ

鑑定会:第436回



前回の回答は、
源清麿
でした。
特徴:源清磨は文化10年(1813年)信濃国小諸藩の名主山浦昌友の次男として生まれ、
刀工を目指した兄真雄とともに上田藩工の河村河村寿隆に刀工の技を学ぶ。
清麿大鑑にも記載されている初期の作品は師匠の河村寿隆そのものと言って良い作品で
匂口締まった互の目乱れの出来。 その後武士を志し、真田幸貫の斡旋で江戸に上り
幕臣の軍学者で剣豪であった窪田清音の門で学ぶ。
彼の刀工としての素質を見抜いた窪田清音は、
屋敷内に鍛冶場を設け彼に刀工として学ばせ作刀を継続させる。
 天保13年に(1842年)清音の尽力により一人三両掛け百振りの刀剣講「武器講一百之一」を
依頼されるが、一振り目を完成させたところで窪田清音を通じて長州藩に招かれ
当地で刀剣の制作を行った。約2年後、江戸に戻り、窪田清音の為に為窪田清音君
山浦環源清麿製(裏)弘化丙牛年八月日」の銘がある2尺6寸の豪刀を制作し
恩人である窪田清音に制作している。現在重要美術品。 
江戸在住中四谷北伊賀町(現在の新宿区三栄町の一部)に居住していたところから四谷正宗と称された。
嘉永7年(184年)11月14日、42歳で自害。理由は未だに分かっておりませんが
相州伝の自らの見識によって制作する難しさと、
殺到する注文に追いつけなくなったとか色々な理由があったと考えられます。
弟子には源正雄、栗原信秀,清人がおり、清麿の死後注文を受けていた武器講の残りを
清人が全て完成させ不義理を無くしたとして弟子の清人は評価されている。
本作は源清麿銘の作品で地金は他の新々刀の追随は許さず
見事な板目肌に地景が入り抜きん出た地金となります。
刃紋は明るく冴えた相州伝で匂口やや深めに
刃中、砂流、長い金筋が見事とに働いた品格のある作品です。
刃紋の下に微かに柔らかな焼きが入り、刃紋明るく冴え冴えとした作品です。
特に帽子の刃紋は匂口の深い乱れ刃で変化に富み
覇気のある清麿独特の鋭さを感じさせる刃紋となります。
数多くの刀工が清麿に挑戦するのも分かる様な気が致します。 
お墓は新宿区素賀町の宗福寺にあり毎年刀剣柴田先生を中心として
参加会員によって花を手向けておられます。
作刀数の少ない清麿は愛刀家垂涎のお刀で滅多に出てこない作品です。 
銘も源清麿銘ですので是非御薦め致します。
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第436回:今回の鑑定 誰でしょうか?(平成29年4月29日)
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ヒント ※画像をクリックすると拡大します。
刃長:1尺9寸6分(59.4センチ)
反り:6分5厘(1.97センチ)
目釘穴:1個
元幅:3.15センチ
先幅:2.14センチ
重ね:0.65センチ
体配身幅が広く重ね厚め反りの深い肉置きの良い作品で
表裏に棒樋と添樋を彫る茎が短く所謂片手打ちの体配の優雅な作品です。
地鉄:小杢目肌実に良く詰んで地錵が厚く付き明瞭な映りが現れる。
刃紋:小錵出来、丁字乱れ小足、葉よく働き帽子乱れ込む。
ヒント
1:体配身幅が広く重ね厚め反りの深い肉置きの良い作品で表裏に棒樋と添樋を彫る
茎が短く所謂片手打ちの体配の優雅な作品です。
地鉄:小杢目肌実に良く詰んで地錵が厚く付き明瞭な映りが現れる。
刃紋:小錵出来、丁字乱れ小足、葉よく働き帽子乱れ込む。
角止めと添樋を彫る。
2:表に銘があり裏には年期が彫られています
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回答は次回の鑑定会コーナーで発表致します。

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(弊社都合により鑑定コーナーに関するメールには返信できませんのでご了承ください。)