前回の回答は、
羽州庄内住藤原清人/文久二年二月於江府造之でした。
特徴:羽州荘内藩藤原清人は江戸時代末期の最も有名な
清麿に筆頭の弟子で斉藤清人と称する。
文政十年(1827年)に生まれ源清麿の弟子となり
師匠の鍛刀技術を学びその作風を物にする。
師匠の清麿が嘉永7年11月14日自から命を断った為、
顧客との間で刀の制作を受けていた刀の代金の支払いを自ら受け継ぎ完済した事で
その真摯な態度に清人の性格が良くでており評価された。
又清人は郷里の荘内に時折帰国して、仙台国包の影響を強く受けた為か
柾目肌の作品をかなり残している。
明治3年8月に政府による廃刀令によって鍛冶の道を廃し
郷里温海に帰り、旅館の主人として晩年を過ごした
明治34年8月24日75歳で亡くなる。彼の作風は師匠の清麿風と
大和伝が多く清麿とは異なった作風である。
柾目肌は北国仙台国包の影響を多分に受けている事に由来する。
重要刀剣に柾目肌の作品が何本かありますが、
国包と見間違える作品がございます。
柾目肌のすっきりとした作品を是非御薦め致します。
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第448回:今回の鑑定 誰でしょうか?(平成29年7月22日)
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ヒント ※画像をクリックすると拡大します。
ヒント
刃長:69.8センチ
反り:1.3センチ
目釘穴:3個
元幅:3.04センチ
先幅:2.18センチ
重ね:0.7センチ
時代:南北朝時代貞治の頃
体配:大摺上無銘で表裏に棒樋を彫り身幅、重ね尋常な反り適度に付き切先がやや延びた体配の刀
地鉄:板目肌に杢目肌が混じり良く練れて地錵が付く。
刃紋:小のたれに互の目乱れ、尖り刃混じり錵よく付き砂流、金筋が働く。帽子、乱れて焼詰め風となる。
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回答は次回の鑑定会コーナーで発表致します。
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