前回の回答は、
於浦賀信秀/嘉永六年八月日 でした。
特徴:栗原信秀は清麿一派として著名な刀工であるが江戸時代文化12年に越後で生まれ京都を経て江戸に出、清麿の弟子として活躍する。
元々鏡師として見事な彫刻を彫り得意としていた事もあって清麿一門に入門してから独自の刀剣制作を行った。
後に嘉永6年に浦賀に赴き何本かの浦賀打ちの作品を制作しており本作も同様な浦賀打ちとして貴重な作品であります。
慶応元年5月には筑前守を受領する。
清麿入門時代は短く鏡師から刀剣制作へと職を変えた理由は不明であるが短期間に日本刀を見事に制作する技術には驚嘆させられる。
清麿一門の筆頭に躍り出た理由は信秀がかなり裕福であったのではないかと考えられ単なる職工ではなく清麿に対しては子弟の関係ではなく援助者ではなかったのかと想像されるのです。
清麿は刀身彫を一切行わなかったにも関わらず鏡師であった信秀は刀身彫りをかなり行っております。
有名な物に明治8年に弥彦神社の御神鏡の制作を行っており刀身には彫り同作と添える作品が多い。
本作は浦賀打ちの作品で地金が良く匂口の深い丁字乱れに明るい華やかな作品です。
名刀として清麿一門の筆頭である信秀を是非お求め下さい。
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第296回:今回の鑑定 誰でしょうか? (平成26年6月20日)
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ヒント ※画像をクリックすると拡大します。
刃長:77.5センチ
反り:3.0センチ
目釘穴:1個
元幅:3.10センチ
先幅:1.57センチ
重ね:0.78センチ
体配:鎬造、庵棟、身幅やや広く反りの深い体配の良い刀。
地鉄:小板目肌に小杢目が交じり、肌立ち、澄肌現れ、地沸付く。
地景入り、映りが現れる。
刃紋:中直刃に小互の目や尖り刃を交える。刃中、小足、葉入り、金筋、砂流しかかる。帽子浅くのたれて、先小丸ごごろとなる。
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回答は次回の鑑定会コーナーで発表致します。
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