前回の回答は、
城州住国廣
慶長十三年八月日 でした
でした。
特徴:國広は九州日向の伊藤家に仕えた武士で同家が没落した後諸国を遍歴しつつ鍛刀の技術を磨き各地で鍛刀をおこなった。
慶長4年以降は京都一条堀川に定住し数多くの弟子を育てた。
慶長19年に没したと云われている。
堀川の定住する前は末相州、末関風の物が見られ定住後の作(慶長打ち)は相州上工に範を取ったと思われる作品となる。
この脇差しは身幅が広く身幅の割にはやや寸が延び反り浅く反りの付いた平造りの形状で安土桃山時代の体配を良く表している。
鍛えは板目に杢目を交え肌立ち砂流細かに掛かりに匂口沈みごころ
となる作域をしめしている。
相州伝上工に範を求めた作域を示しているが焼刃の出来口にくわえて造り込み、彫り物は貞宗にその範をとったと思われる作柄である。 区下より水景が立っている態や焼刃の物打近辺が華やかとなり錵が強くつき匂口が
沈みごころとなるなど同工の特色が窺われ國広の面目躍如で裏銘の慶長13年8月は貴重であります。
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第238回:今回の鑑定 誰でしょうか? (平成25年4月5日)
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ヒント ※画像をクリックすると拡大します。
刃長:75.7センチ
反り:1.96センチ
目釘穴:3個
元幅:3.16センチ
先幅:2.24センチ
重ね:0.74センチ
時代:南北朝時代 文永頃 1264年から1274年
時代背景:文永4年朝鮮半島から高麗の使者がモンゴル帝国大ハーンのクビライの国書を持って来航するが拒絶する。
文永11年モンゴル高麗の連合軍が対馬、博多に上陸する。
体配:大摺上無銘、身幅広く(3.16cm)重ねしっかりとした大切先でがっしりとした体配の良い刀。
地鉄:杢目に小板目肌良く混ざり地錵が厚く付き地景が入り鮮明な映りが現れる。
刃紋:匂い出来丁字乱れに足、葉が良く入り刃中、金筋が入る。
帽子は乱れ込んで先尖り返る。
ヒント
1:大摺上無銘ながら身幅広く帽子大切先の形態。
2:地金が極めて良く微塵の地錵が付き明瞭な映りが現れる。
3:帽子の刃紋は乱れ込んで先が尖って返る。
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回答は次回の鑑定会コーナーで発表致します。
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