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お知らせ

鑑定会:第441回



前回の回答は、
水心子正秀(花押)
寛政八年二月日 応新田源浄聖君需作之義進之
でした。
特徴:化粧や摺があり茎が謝金の状態としては江戸時代末期の作品が思い出され
濤乱刃といえば手柄山正繁、尾崎助隆、大慶直胤、加藤綱英、市毛特鄰、長運斎綱俊、そして
水心子正秀が思い出されます。地金が詰んでいる所から新々刀と考えられますので水心子正秀となります。
初代水心子正秀は新々刀の開祖とも言うべき江戸時代後期を代表する刀匠で、
寛延三年(1750)に出羽に生まれた。少年期に野鍛冶に学んだとも仙台國包に学んだとも言う。
後に藩士の紹介で武州川越の宮川吉英に入門した。安永三年(1774)、明和四年(1767)から
弘化二年(1845)の間山形を支配していた秋元家の抱工となり、
名を儀八郎正秀と改め後に水心子という号も使用する様になった。
天明(1781)以降は江戸にのぼり秋元家中屋敷に住み、備前伝を石堂是一、相州伝を綱広に学んだ。
鎌倉時代の刀剣を目指した復古刀を提唱し研究を重ね実用的な刀剣の製作を行い、
また出羽の大慶直胤、下野の細川正義をはじめとする全国から
集った百人以上ともいわれる多数の門弟を育成した。
文政二年(1819)に天秀と改名、文政八年(1825)に七十六歳にて没した。
本作は水心子正秀の最も卓越した作品を制作した時代で匂口の深い大互の目乱れを焼き上げ
野趣に富んで抜群の作品を制作する。しかしながら彼はその後刀剣本意の折れない作品を
制作する様になり華やかな濤乱刃の制作から遠さかる事となる。
皮肉な事に現在の美しい刃紋を求める愛刀家にとっては彼の地味な作品は遠ざけられ
本作の御床濤乱刃の作品が最も人気を博しております。
この脇差は重要刀剣と比較しても劣らず身幅が広く
重ねの厚いがっしりとした抜群の出来を示した作品と言えます。
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第441回:今回の鑑定 誰でしょうか?(平成29年6月3日)
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ヒント ※画像をクリックすると拡大します。
ヒント
刃長:2尺8寸(84.6センチ)
反り:6分(1.75センチ)
目釘穴:1個
元幅:3.3センチ
先幅:2.35センチ
重ね:0.78センチ
体配:鎬造、長寸で身幅が広く元先の幅差さまで目立たず
鎬幅広く反り浅く付き中切先やや延びる。
地鉄:小板目肌所々板目肌、流れ肌が肌立ちごころに混じり
地錵微塵に厚く付き地景細かく入り乱れ映りが立つ。
刃紋:丁字乱れ所々尖り刃、複式風の互の目乱れ混じり
総じて焼きが高く足、葉が入り島刃風を見せ匂口、やや締まり小錵出来、
所々匂勝となり小さな飛び焼きが入り細かに砂流が入り匂口明るい、
帽子焼きが深く乱れ込み先尖り裏はやや長く返る。
彫り物:表は腰樋、護摩箸、共に丸止。
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回答は次回の鑑定会コーナーで発表致します。

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